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BRUNHILD FERRARI, EIKO ISHIBASHI, JIM O'ROURKE / L'oreille Voleuse (LP)
時間と記憶をめぐる音響芸術:ブルンヒルド・フェラーリ、石橋英子、ジム・オルーク『L'oreille Voleuse』
BRUNHILD FERRARI、EIKO ISHIBASHI、JIM O'ROURKE による『L'oreille Voleuse』。本作は、日常の中で無意識に捉えられた音の断片や記憶を再構成したミックステープ的アプローチによって制作され、磁気テープに記録された「耳の記憶」を呼び起こすようなサウンドが展開される。そこに石橋英子とジム・オルークによる演奏が加わり、繊細かつ即興的な響きが作品に新たな層を与えていく。フィールドレコーディングと即興演奏が紡ぐ、記憶の音響コラージュ
実験音楽、ラジオアート、フィールドレコーディングの要素が交錯する本作は、個人的な記憶と音響芸術が静かに交差するユニークな試み。Luc Ferrari のパートナーであり長年活動を共にし、その遺産を継承してきた彼女ならではの視点が反映された、時間と記憶をめぐるミュージック・コンクレート作品です。
アルバム『L’oreille Voleuse(盗む耳)』において、ブルンヒルド・フェラーリ(Brunhild Ferrari)は、自身のアーカイブに眠る磁気テープに記録された「耳の記憶」を石橋英子とジム・オルーク (Jim O'Rourke) に託しました。二人は彼女の磁気テープに記録された追憶を「生きた風景」として扱い、時間、聴くこと、そして「優しい配慮としての盗聴」をテーマに、移り変わるプリズムのようなエレクトロアコースティックを即興で紡ぎ出しています。
「ドアに耳を押し当てて盗み聞きをするのではない。耳はあちこちで、意図せずしてノイズや予期せぬ音を捉える。そこに選択の余地はないが、長年にわたって拾い集められてきた一つひとつのメッセージに、耳は常に注意を払い続けている」
このシンプルな宣言の中に、ブルンヒルド・フェラーリは「聴くこと」の倫理と詩的なものを描き出しています。耳はただ音を集めるのです。世界が放つ偶然の音響に対してオープンであり、境界を持たず、訪れるものをすべて歓迎する。こうして数十年にわたり磁気テープに定着された「驚きと印象」が、新たな「ミックステープ」の原石となりました。石橋英子とジム・オルークは、単なる装飾としてではなく、音による記憶の劇場を蘇らせる演者として演奏に参加しています。
ピエール・シェフェールの思想からリュック・フェラーリの遺産へ
ブルンヒルド・フェラーリのバイオグラフィーは、戦後実験音楽の「静かなる裏面」そのものです。
「他の多くの人と同じように、私は生まれ、育ち、学校に通い、試験に合格し、失敗し、愛し、時には懸命に働き、人生を楽しみ、そして今も続けている」
この控えめな言葉の奥には、ミュージック・コンクレートやラジオアートの重要な変革とともに歩んだ人生が広がっています。彼女は ORTF (フランス国営放送) の調査部門でピエール・シェフェールと共に働き、音と映像の流動的な関係を研究しました。
ドイツに生まれた彼女は、通訳や翻訳家としての顔を持ちながら、何よりもリュック・フェラーリ (Luc Ferrari) の共同制作者であり、人生の伴侶として活動しました。人生、音楽、作曲におけるリュック・フェラーリの助言は、彼女自身の音響芸術やラジオドラマを形作る原動力となり、それらはフランス・キュルチュール (ラジオ・フランスが運営するフランスの公共ラジオ局) やアメリカ、ドイツの主要ネットワークで放送されました。
2005 年にリュック・フェラーリが亡くなった後、彼女は彼の膨大なアーカイブの保存に努め、「Association Presque Rien – Friends of Luc Ferrari」を設立し、アーティストが彼のフィールドレコーディング音源にアクセスし新たな作品を創作できる隔年開催の国際コンクール「PRESQUE RIEN Prize」を創設。さらに著書『Musiques dans les spasmes』や英語版全集の編集も手がけました。
「私は音楽を作ってきた。これからも作曲し続けます。」
ブルンヒルド・フェラーリのこの言葉は、静かなマニフェストのように胸に響きます。
現代インディ・実験音楽シーンを牽引する、石橋英子とジム・オルークの共鳴
日本の作曲家、歌い手、マルチ奏者である石橋英子は、実験的ポップ、即興演奏、映画音楽が互いに溶け合うような作品群を築き上げてきました。そこには常に、テクスチャーと空間への鋭い感性があります。濱口竜介監督作品(「ドライブ・マイ・カー」「悪は存在しない」)の音楽は、彼女の音楽が持つ「奇妙さ」を薄めることなく、専門家の枠を超えて広く世界に届けられました。映画のために心を揺さぶるピアノのモチーフを形作るその同じ耳が、ノイズやドローン、断片化された歌を、移ろいやすい絵巻物 (タブロー) へと編み込んでいくのです。
2000 年代初頭から日本を拠点に活動するアメリカの作曲家/プロデューサー/マルチ奏者、ジム・オルークもまた、ジャンルを横断する多彩な歴史を持っています。ソニック・ユースや Wilco から、ガスター・デル・ソル、マース・カニングハムとのコラボレーションに至るまで、ロック、電子音響作曲、フリーインプロヴィゼーション、現代音楽を行き来してきました。彼の作品において、形式的な厳格さと野生的な創造性は対立するものではなく、パートナーです。彼はアクシデント (偶然) からいかに構造を立ち上げるか、そしてそのアクシデントをいかに必然のものと感じさせるかを知り尽くしています。
3つの感性が交錯する「優しい盗聴」という名のパラドックス
『L’oreille Voleuse』において、これら3つの軌跡は「耳の記憶」というアイデアを中心に交差します。ノイズ、声、環境音、機械の幽霊たちが詰まったブルンヒルド・フェラーリのプライベート・アーカイブ (テープ) は、固定された作品としてではなく、そこに「住まうための風景」として扱われ、石橋英子とジム・オルークはリアルタイムで反応します。
音の上に覆い被さるのではなく、音の中で演奏し、隙間を掘り下げ、時にはその表面を微かに揺らす。
その結果、重層的な注意深さを持った音楽が生まれました。ブルンヒルドが耳を傾けた長い時間が二人の演奏と共に折り畳まれ、3つの感性が同じ音の茂みの中に異なる小道を刻んでいきます。
ここで立ち現れるものは、通常の意味での「コラボレーション」というよりも、「再び共に聴く」という行為の共有です。ブルンヒルド・フェラーリはテープに閉じ込められていた記憶を目覚めさせ、現代という今の中で再び呼吸を与え、石橋英子とジム・オルークは、それらの記憶を消し去ることなく、どこまで曲げ、屈折させ、あるいは影を落とすことができるかを試しています。
アーカイブが静的なモニュメントとして扱われがちな現代において、『L’oreille Voleuse』は、録音された音は常に流動的であると主張しています。それは、ドアに耳を押し当てずとも、今なお別の部屋、別の人生、そして別の聴き方へと私たちを導く、開かれた扉なのです。
1. L'oreille Voleuse - Original Version 20:13 / 2. L'oreille Voleuse - Performed by Eiko Ishibashi and Jim O'Rourke 20:15 / 3. L'oreille Voleuse - Extract 1 02:41 / 4. L'oreille Voleuse - Extract 2 05:01 / 5. L'oreille Voleuse - Extract 3 03:24 / 6. L'oreille Voleuse - Extract 4 02:16
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